俺だけBダッシュ出来ない!?

ライブや映画の感想を。

# STAY HOME がもたらした副産物

拝啓、皆様

どうも。私です。

おうち時間いかがお過ごしでしょうか。

こちらは、家から一歩も出ない生活が続いています。すごもり学の履修はバッチリ。

みなさんの健康を願うブログ、「俺だけBダッシュ出来ない!?」 です!!☆

 

 

あ、続き読んでくれてありがとうございます。

文字通り、本当に引きこもっていて。12日間連続で外出しなかった時には、さすがにヤバいと思いました。人でなくなると。生物学上ホモサピエンスに分類されるだけの、ヒトのカタチをした何物かになってしまうと。

僕はこの世に必要なくて、このまま家でひっそり孤独死しても誰にも気づいてもらえないんじゃないか。みたいな?

いい歳して漠然とした焦燥にかられまして、近所のATMまで通帳記入しにいったわけなんですが、その時のシャバの空気の美味さといったらもうマスク越しでも病みつきになってしまうくらい。心の中で植物にそっと感謝しました。光合成してくれてありがとうって。過度の引きこもりはよくないということです。完全に禁断症状の類でした。

厳密には、平日は自宅からリモート体制で仕事はしていて、コラボレーションツールで社内のMTGに参加したり、zoomで商談をしたり、終業後や休日には友人知人と話したりもしているので、孤独とは180度逆の状況なんですけど。

それでもなお不安に感じたのは、いつまで自粛要請は続くのだろうとか先が見通せないストレスではなく、従来の生活と比較して受信する情報が極端に減ってしまったことが原因なんじゃないかと思うのです。

スケジュールには登録されないような、同僚との他愛もない雑談だったり。

通勤電車で聞こえてくる、何の曲かわからない音漏れだったり。

街を歩いてすれ違う名前も知らない人のファッションだったり。

居酒屋の隣卓が盛り上がっている話題だったり。

今まで当たり前だった、些細な情報。生きていく上で一見不必要な情報。短期記憶にすら刻まれないような刹那の情報。これらが全く供給されていないのです。

通勤時間が減った分、睡眠時間だったり、自由に使える時間は増えているはずなのに、必ずしも心身は健康的でないというのがなんともシニカル。人は社会に身を置くことではじめて自己と他者との境界を規定できるのだと改めて気付かされました。

僕たちは、ちょっとした耐圧をも必要としている。

ストレスとはうまく付き合っていきましょう、なんて保健の授業で習ったりしませんでしたか?

綺麗事だと一蹴したくなりますが、実に的を得ていて、特に今回の異常事態で、僕の中にも刻まれている生物的本能が、適度なストレスの毀損に警鐘を鳴らしたわけです。

ライブには行けない、飲みにも行けない、旅行にも行けない、映画館にも行けない、ボードゲームも遊べない、ストレスはこれでもかっていうくらいたくさんあるはずなのに、必要なストレスもあるとは不思議ですね。

まあ、これはちょっとした叙述トリックで、ストレスという言葉の指す意味が、外から受ける刺激全般を表す時もあれば、心がもやっとする嫌な刺激という狭義の意味で使われることもあるからですが。

数学の世界では定義を曖昧にすると叱られますが、クリエイティブの世界では曖昧にすることこそが関心をひくトリガーになったりする。同じ言葉でも視点や立場によって意味が変わる。話し手の思った通りに聴き手が100%受け取るということはありえません。しかし話し手がどう考えての発言か、類推、あるいは慮ることはできるわけです。共感力、感受性などという言葉がしっくりきます。人と、それ以外の生物との差は、自己と他者との境界に、たまには隙間を作って、曖昧にすることができるかどうか、なのではないでしょうか。つくづく人は考える葦であります。

自身で課題を設定し、自身で解決まで導く。あるいはそのまま発散して、着地しないかもしれない。妄想とよばれる行為にふけることができるのも、表題の通り、現状の副産物の1つでしょうね。

昨今の状況でも、人と会話すること自体は不自由なくこなせるので、テクノロジーの進化ってすげえ、と感嘆しっぱなしなんですが、例えばスマホ越しに僕たちが聞いている声というのは、あくまで人の声に限りなく似せた電子音なので、なんというか、やはり本来人がもつ声色だったり呼吸の間というのは、オフラインのみぞ知るところ。

web会議ツールとか、どこ見て話したらいいんだか。

カメラ?画面に映った相手の顔?

未だに慣れません。

ラグがあるので、間とか難しい。2人とも様子を伺ったあげく発言が被ることも。

慣れた頃には、対面での人との話し方を忘れそう。目とか合わせられなくてキョロキョロしてしまいそう。メーデーメーデー。ああ、3密がこいしいなあ!

 

閑話休題

 

閑話休題って一生に一度は使ってみたいよね。僕はいま使えたので満足です。

さて、前置きというには長すぎる思考の旅から無事帰宅したところで、本題。

なんと前回の更新からはや9ヶ月。

HDDに録画された音楽番組か映画かアニメを見るか、はたまたオンラインドミニオンをするだけの平坦な生活に一石を投じるため久しぶりにBダッシュかまします。

前回のテーマは

2019年に参戦したライブとフェスの振り返り

でしたが、実は全体の1/6程度しかかけていないという事実。もっとがんばれ。

いまはライブに行けなくてうずうずしているので、楽しい記憶を思い出して文章に残したいですね。

また別の機会にしましょう。

STAY HOME

おうち時間

家にいろ

なんでもいいんですけど、とにかく今は家にいないといけないみたいです。

別に講釈をたれたいわけではなく、自粛を促しも、外出をとめたりもしません。

いちいちネガティブなこと考えている時間が惜しいので。

あくまで、事実として、世の中が未曾有の危機に直面して、混沌としていて、まっさきに僕らの大好きな音楽業界が自粛を余儀なくされて、アーティストやスタッフはライブを開催することも、僕たちはライブに行くこともできないわけです。

しかしながら、先陣を切って自粛をしたからこそ、思わぬ副産物もあったわけ。

例えば、バンドマン同士の交友関係とか、ライフスタイルとか、考えとか。

ライブのMCやSNSだけじゃわからなかった情報が、LINEライブ、インスタライブ、web配信でつまびらかになってきた。

これってすごいことですよね。

ミュージシャンなんで、言いたいことは音楽で語れって、偏屈に考える方もいらっしゃるでしょう。僕もそう思うので気持ちはわかります。

でも、やっぱり人間なので、人となりとか想いとかわかったほうが、親近感がわきますよね。

リアルのライブ以上に気軽にアクセスできるので、今まで関心のなかったアーティストに触れるチャンスでもある。

アーティストからすれば、既存ファンの熱量をキープしつつ、新規ファンを獲得する絶好の機会でもある。

今の時間をどう使ったかで、アフターコロなんちゃら(ネガティブになりがちなので意地でも名称を言いたくない)の時代でのアーティスト生命を左右する気がします。

例えば04 Limited SazabysのGEN、めちゃくちゃトークスキルが高い。

もともとライブのMCで全然噛まないし滑舌もいいから、思考が常に整理されているタイプなんだろうなーと思っていたけど、トーク番組での進行がいたにつく。スペシャのヨルジュウ見てて思った。

あと、バンドにめちゃくちゃ詳しい。そりゃ大半のバンドマンがそうでしょうけど、とっさの引き出しが多くて、端的な解説や思い出を添えててクレバーだなあと。

「特定班いそげ!」とか、あ、この人絶対エゴサしてるな、普段。なんて読み取れたりする。

全部2020/4/29のヨルジュウでの話なんですけど、リモートで繋いでるバンド仲間に「家見せて!」って話振ってみたり。視聴者へのサービスも欠かさない。

アーティストがライブで投げるピックの話になったときには、「B-DASHのGONGONが飲みかけの水投げてきた時は、いらんなーと思って拾わなかったすね」とかキズ付けない程度のいじりも見せたり。

放送できる程度の下ネタもぶっこんだり。

バンドマンとして必ずしも求められる素養ではないけど、フォーリミを知らない人が興味を持つきっかけにはなりますよね。

BLUE ENCOUNTの田邊もトーク番組やってますし、今の時代、喋れるフロントマンが求められているのかも。

アーティスト同士の関係値でも気づきがあって、先日配信されたLIVE FORCE LIVE HOUSEのトークセッションでは、盟友バンドが勢揃いしたわけですが、例えばTOSHI-LOWめっちゃzoomの仮想背景使いこなしてるな、とか、ジャンケンジョニーめっちゃいじられるしノリもいいな、とか。

対バンのMCとか音楽番組での様子とか以上に、素の人間性、関係値が垣間見れて、面白いなあと。

何事もなく、ライブが開催されていたら、気づかないままだったかもしれないので、これはこれで思わぬ副産物だなあと思ったわけです。

無論、なんの遠慮もなくライブが開催される世界であるにこしたことはないのだけど。

アーティストだけでなく、僕らリスナー、コンシューマーも、いまの状況をどう捉えるか。

発想の転換で、ポジティブに捉えることもできるはず。

今できること、楽しめることをみつけて、また元気な姿でライブハウスで会いましょう。

そん時は、思いっきり3密で汗だくになろうぜ。

 

 

今できること。

体幹を鍛えることですかね。